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昭和32(1957)年12月22日、ベビー衣料用品製造卸商を営む家に長男として、大阪赤十字病院で生まれる。

父は南区順慶町1丁目で丁稚修行をし、「御堂さんの屋根の見える所に、間口一間でも自分の店を持ちたい」と日夜働き、南御堂の側、東区北久宝寺町5丁目に店を構える。大阪市中央区北久宝寺町出身 。
中央なにわ幼稚園、愛日小(現・開平小)、船場中(現・東中)、明星高、YMCA、岐阜大、東北大、慶應義塾大学院、筑波大学院卒 経営学修士(MBA)、経済学修士
第5回全日本学生弁論大会優勝 テーマ「地方自治に経営的発想を」
衆議院議員 山本孝史(船場中の8年先輩で政治の恩師)秘書
平成19年4月、中央区より大阪市会議員選に立候補し、5,698票で当選「シャッターを開きたい」を合言葉に、情熱的に活動中
商いの街・中央区の都市再生に、マーケティング的発想で挑戦
好きな食べ物:とうふ、トマト、ちりめんじゃこ


中央区から大阪市を変えたい。
かつてのにぎわいと活力あふれる「天下の台所」に。
この誇り高き歴史と伝統あふれるわが街の復活を目指し、政治・行政に、大阪商人の知恵を大胆に注ぎたい。

中央区に生まれ学び育った権世幸蔵は一人一人の人を大切に、力強く、まじめに政治に取り組みます。
「若さ、情熱、政策の権世くんなら、やってくれる」という地元の皆さまの暖かい声にこたえて最も愛する郷土、中央区・大阪の発展のため裸一貫、ゼロから全身全霊を打ち込みます。(権世幸蔵)




  昭和28年、南区順慶町1丁目で6畳1間を借り、ベビー衣料用品製造卸商を創業した父・昭蔵、母・清子の長男として昭和32年(1957年)12月22日、大阪赤十字病院で生まれる。船場で丁稚修業した父は「御堂さんの屋根の見える所で間口一間でも自分の店をもちたい」と日夜働き、南御堂の側、東区北久宝寺町5丁目に店を構える。



 赤い屋根にスクールバスの楽しい幼稚園を修えた年、東京オリンピックで日本中が沸き返っていた。通学路の御堂筋のいちょう並木で、大阪の季節の移り変わりを感じ、南御堂や坐摩神社を遊び場とし少年時代を送る。




 千里山丘陵で大阪万博(EXPO:70)が開催された年、船場中学に入学。クラブ活動として自ら「社会科クラブ」を復活させ、難波神社や御霊神社等を訪ね、宮司さんにインタビュー。なにわの歴史を学び、郷土愛に一層強く目覚める。



 一人一人の人を大切にすることを学んだ明星高校を卒業後、YMCA予備校を経て、家業を継ぐには繊維の知識が必要と感じ岐阜大学工学部繊維工学科に進学。さらに経営学の知識を求めて、慶応義塾大学院で、日本のマーケティングの草分けであった、片岡一郎教授に師事し経営学修士を授与される。近代経済学への興味が抑えられずに、東北大学経済学部でさらに勉強。
 経済の活性化に果たす政治の役割を認識したことから、政治への関心が一気に高まり、筑波大学院で政策科学を本格的に勉強し経済学修士を授与される。平成元年には、「土光杯第5回 全日本学生弁論大会」で優勝。テーマは「地方自治に経営的発想を」。
 その後、船場中学の8年先輩で恩師である山本孝史衆議院議員の元で政治を一生の仕事とすべく精進を重ねる。



 平成19年の大阪市会議員選に中央区より再度立候補、5,698票で当選。現在、大阪市議会議員として、にぎわいと活力あふれる中央区の復活を目指し、経済・心・政治の「シャッターを開きたい」を合言葉に、情熱的に活動しました。


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